中国感染症情報
北京駐在スタッフの随想
No.003 「H7N9と情報開示」
2013年6月11日
特任教授 林 光江
2013年3月31日中国国家衛生・計画出産委員会(もと中国衛生部)は、鳥インフルエンザウイルスH7N9に感染した患者が中国国内で確認されたと発表した。上海市で2件、安徽省1件の合計3件である。H7N9ウイルスが人から分離されたのは初めてだったため、この発表は世界中から注目された。また、上海の患者は2月中に発症しており、発表まで1ヶ月以上かかったことで、「また隠蔽か」と、懐疑の目も同時に中国に対して向けられた。
しかし、その後の中国政府の情報開示は、見事なものだった。4月2日から毎日夕方、確定症例と死亡件数について、全国の総数だけでなく「○○省△△件、死亡××件」というように、地域別にも公表し続けた。また世界保健機関(WHO)と緊密に連携し、逐次情報提供行っただけではなく、中国とWHOの共同調査団を組織して中国国内の実情を海外に公表し、「隠蔽体質」という汚名を返上した。
やや気になったのは、「社会不安を煽らないよう」「デマを防止する」という名目で中国の国内メディアが独自報道を禁止された、という日本からの報道だった。だがそれに対しても、正確な情報へのアクセスが困難な地域もある中国では、人心安定のためにはある程度の報道規制も仕方ないのではないか、と思っていた。
全国の確定症例累計がまもなく100件に届こうとしていた4月20日、四川省雅安市でマグニチュード7の大地震が発生した。医療救援活動および被害状況の把握も中国国家衛生・計画出産委員会が中心的役割を担っている。同委員会のHPにはH7N9の症例集計とともに、被災地における医療チームの活動や国家指導者による慰問の記事が並ぶようになった。そしてまだ毎日数件の確定症例が発生し続けている4月24日(水)、同委員会はH7N9ウイルスの人感染症例集計を「今後は一週間に一回の報告とする」と発表した。この時点で私は、中国政府も地震と鳥インフルエンザ両方の対応に追われ大変なのだろうと同情をもって受けとめていた。さらに同HPには新規症例が発生した地方衛生局からの情報が日をおかず転載されていたため、ほとんど疑問をもたなかったのである。
5月1日(水)と5月6日(月)はこれまでと同様、確定症例数と死亡件数を地域別にも掲載していたが、5月13日(月)の発表内容を見て少し驚いた。地域ごとの件数発表がなくなり、全国の総数と累計のみとなっていたからだ。5月20日(月)、それまで同委員会HP画面の一番上にあった症例集計の記事がトップページから消えていた。画面中程の「人感染H7N9禽流感防控工作」というバナーを押してはじめて、症例集計にアクセスできるように変わっていたのだ。そして翌週27日も同様の形だった。H7N9に関する情報の重要性が徐々に薄められていくような印象をもった。そんな折、28日の夜、北京で2件目(*)の確定症例が出たと発表された。患者は6歳の男の子。情報源は国家衛生・計画出産委員会ではなく、北京市衛生局のHPだった。(*注:中国政府は4月15日に陽性確認された4歳男児を「ウイルスキャリア」と位置づけ、症状が無いことから感染患者として扱っていない)
これにより今後は地域別の発表も復活するのではないかと想像したが、翌週6月3日になって同委員会のHPのどこを探しても週間症例集計の記事が見つからない。北京では明らかに確定症例が出ているのだから、新規発表がないのはおかしい。どういうことだろう。もしや急に感染が拡大したのだろうか…悶々として一週間が過ぎた。明けて6月10日、ようやく同委員会のHPに「2013年5月31日までに、中国国内で131件の確定診断が報告」という記事が掲載された。「中国は感染抑制に効果をあげた」の前段があり、記事の最後には「6月より毎月10日」つまり月一回の発表とする、という但し書きが添えられていた。心が波立った。H7N9に対する関心を少しずつ削ぎ落としているように感じた。予定していた変更なら、5月27日の時点で「次回からは、月1回の発表にする」と事前に断りをいれればよい。そうすれば要らぬ詮索を招くこともない。しかしそうではなかった。
今から10年前の2003年、私は北京で重症急性呼吸器症候群(SARS)という嵐の到来を迎え、そしてそれが過ぎ去るのをじっと待っていた。当時を思い返してみると、その新しい感染症に関する情報がほとんど入ってこなかったことが最大の恐怖だった。「広東省で奇病が発生している」「北京の地壇病院にも患者が集められている」などといった風評が流れたが、10年間続いた江沢民体制から胡錦濤へ政権移行したばかりということもあり、新聞やテレビは厳しい報道規制を敷いていた。あくまでも「噂」に過ぎないことを確認する術はなかった。何をすればよいのか、何をしてはいけないのか。最低限、個人としてどう行動すればいいのかすら、正確なことが何もわからない。それが一番恐ろしかった。
今回は3月31日から徐々に増える確定症例数を見て、どこまで感染が拡大し、いつ北京に広がってくるのかという恐怖を味わいはしたが、同時に、基本的な情報を得られているという安心感があった。しかし5月に入ってからは漠然とした不安がよぎるようになった。来る7月の発表がこの不安を軽減させてくれることを期待している。