中国感染症情報
北京駐在スタッフの随想
No.004 「中国の戸籍制度と予防接種」
2013年6月29日
特任教授 林 光江
中国には厳格な戸籍制度があり、1970年代までは都市間の人の移動が厳しく制限されていた。80年代に入って改革開放政策がとられ、次第に人々は職を求めて都会に移動するようになった。それから約30年がたち、出稼ぎのため都市部に向かい定住した人々は「外来人口」「流動人口」と呼ばれ、いまや都市人口の中でも大きな構成要素となっている。北京市統計局の調査によれば、2012年末時点で北京市の常住人口は2069万3千万人。そのうち「外来人口」は773万8千人つまり四人に一人の割合であるが、そのほとんどは北京市の戸籍をもつことができない。
居住地で住民登録をすれば誰でも医療、福祉、教育といった行政サービスを受けられる日本と異なり、中国では居住地に戸籍があるかないかで生活の質が大きく変わってくる。「外来人口」が特に頭を悩ませるのが、その子ども「流動児童」の教育である。中国でも小中学校は義務教育であるが、都市戸籍を持たない「流動児童」には「賛助費」という名の費用が課せられる。「賛助費」の金額設定は学校によって異なり、一度に数万元(1元は日本円で約16円)もの大金を求められることもある。また「賛助費」を払い都市部の小中学校に通えたとしても、高校や大学への入学試験はその都市で受験することができない。彼らは政府や各地の教育関係部門に現行制度の見直しを求めているが、都市戸籍の子どもたちと同等の待遇を受けられるようになるまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。
そのほか、戸籍にまつわる制約として公衆衛生上の問題がある。その一つが「流動児童」に対する予防接種である。現在、中国では「国家免疫計画」に基づき、子どもは戸籍所在地において無料でワクチン接種を受けることができる。B型肝炎、結核、ポリオ、百日咳、ジフテリア、破傷風、麻疹、風疹、流行性耳下腺炎、日本脳炎、流行性脳脊髄膜炎、A型肝炎などの予防接種が含まれ、おおよそ6歳までの間に基本的な接種が実施される。公衆衛生の観点から言えば、居住地に戸籍がない子供にも、そこに戸籍をもつ子どもたちと同様に予防接種を行うことが望ましい。
1999年春、北京では麻疹、風疹、流行性耳下腺炎が大流行したが、患者の80%以上が「流動児童」を中心とする「外来人口」だったこともあり、翌2000年から「流動児童」に対する予防接種を強化することにした。特に2005年からは「流動児童」に対して北京市戸籍の子ども同様、保健・医療機関で予防接種カルテを作り、予防接種カードを交付し、接種の空白地帯を無くすべく努めてきた。現在では北京の多くの地区で「国家免疫計画」に規定されている予防接種を「流動児童」に対しても無料で行えるようになった。
ところが接種の空白地帯は容易に埋まらない。戸籍をもたない二人目、三人目の子どもが存在するためである。いわゆる「一人っ子政策」により中国の多くの地域において、二人以上の子供の戸籍登録には、年収の数倍に相当する「社会扶養費」を支払わなければならない。戸籍がなければ学校にも行けず、医療などの社会福祉サービスも受けられない。前述の予防接種カルテやカードを作成するためには親の現住所と戸籍所在地を登録する必要があるが、そうすることによって超過出産が明るみに出てしまう。このような理由から予防接種を受けない子どもはなかなか無くならない。中国の都市部はこのような形で感染症流行のリスクを常に秘めているのである。
ひるがえって日本では、近年、風疹患者の増加が大きな社会問題となっている。副反応や健康被害が問題となり、1995年に予防接種法が改正され、風疹の接種率は低下した。特に1979年4月2日から1987年10月1日までに生まれた人は法律の変わり目にあたり、風疹の予防接種を受けていない人が多いという。ここ数年、その世代を中心に風疹が流行し、今年の患者数は6月12日までに1万人を超えた。
予防接種は特定の感染症を防ぐために有効な手段である。徹底させられない理由は国によってさまざまであるが、感染症に関する知識を広めること、予防接種のメリットとデメリットを人々に分かりやすく説明すること、集団接種や費用助成を検討することなど、課題をひとつひとつ乗り越えていくことが、いずれの国でも大切だと思う。