中国感染症情報
北京駐在スタッフの随想
No.007 「ワクチン問題に中国での子育てを思う」
2016年9月17日
特任教授 林 光江
8月11日、江蘇省衛生部門が、所轄医療機関職員の停職処分を発表した。処分を受けたのは看護師と院内薬局職員。今年5月、犬に噛まれた5歳の女児に期限切れの狂犬病ワクチンを接種していたという。中国では狂犬病の感染症例が全国で毎月50件ほど報告されている。このワクチンによる女児の体調不良は伝えられていないので、おそらく効果はあったのだろう。
この話を聞いて「あの事件の影響はまだ続いているのだろうか?」と思った。3月に報じられた大規模なワクチン違法販売事件である。日本でも報道されていたが、山東省で元薬剤師の女性が期限切れ間近のワクチンを製薬会社から安く買い入れ、5年もの間、無許可で医療機関に販売していたというものだ。
中国には、基本的にすべての児童が無料で接種を受けることのできる「第一種ワクチン」と、任意接種で費用自己負担の「第二種ワクチン」がある。第一種ワクチンにはB型肝炎、結核、ポリオ、百日咳、ジフテリア、破傷風、麻疹、風疹、おたふくかぜ、日本脳炎、流行性脳髄膜炎、A型肝炎などがある。費用は国家が負担し、購入の際には入札過程が厳しく管理されている。
一方、第二種ワクチンは接種する医療機関が独自に調達可能なもので、製薬会社と実際に接種を行う医療機関までの流通経路に、販売業者などの参画する余地がある。冒頭の狂犬病ワクチンもこの第二種ワクチンに含まれる。
山東省の元薬剤師はその母親と共に、営業許可証も低温保管施設も持たないままに、全国の医療機関に第二種ワクチンを販売していた。一部報道では5億7千万元(約100億円)のワクチンを販売していたとされているが、国の発表によれば、実際のところは収入3億1千万元、支出が2億6千万元で、差し引き5千万元(約8億円)の利益をあげたことになる。4月11日までに逮捕者22人のほか200人以上が拘留されたと報じられているほか、薬品企業45社、ワクチン接種をする医療機関59か所が関わったとされ、販売地域は山東省だけでなく計17省にわたっている。
このニュースを聞いて、小さな子どもを持つ親はどんなに不安になったことか。期限切れ、または適切な保管がされていないワクチンを打ったらどうなるのか…。単に効果がないだけなのか、あるいは体に害があるのか…。自分の子どもの体を守るために受けさせた予防接種が、かえって健康を損なう原因となっているかもしれないと考えると落ち着かないことだろう。
また医療の問題にとどまらず、メラミン入り粉ミルク事件、下水を精製して作った「地溝油」、川に流される大量の病死した豚、成長ホルモンや抗生物質を与えた鶏など、食の安全面で不安をあおる話題にはことかかない。さらに近年の大気汚染を考えれば、子どもの健康に影響が出るのではないかと中国での子育てに二の足を踏む、日本の知人の気持ちもよく理解できる。
しかし悪いことばかりではない。そんな中国にも、幼い子どもをもつ親が過ごしやすい「空気」がある。私も北京で子育ての経験があるが、子どもに対する周囲の目が優しく、寛容なので、精神的にとても楽だったことを思い出す。子どもを連れてバスに乗れば、みなこころよく席を譲ってくれる。車内で子どもがぐずっても、周りの人に嫌な顔をされることは少なく、あやしてくれる人さえいた。
中国では伝統的に「子は家の宝」。また「社会の宝」でもある。共働きが多い都市部では、子どもが小さいうちは祖父母が中心となって面倒をみる家庭が珍しくない。そうでなくても、子どもを小さいうちから預けられる保育施設が比較的充実している。当時は食事の時間に、保育所の先生がスプーンを1本持って、順番に子どもの口の中にご飯を入れて食べさせてしまうなど、驚くこともあった(今はさすがにしていないと思う)が、大病もなく育ったのでいいとしよう。乳幼児を持つ母親が仕事を続けることを当たり前とする社会。みんなで子どもを受け入れ、育てようという社会の空気は、子育て中の親にとって理想の環境といえる。