2017年10月18日から24日まで、中国は5年に一度の重要な会議を開いた。第19回中国共産党大会である。この大会の開幕式で習近平国家主席は3時間半もの長い演説を行った。その演説の中で最も多用された言葉は「新時代」で、35回だったそうだ。一方、私たちの関心事である感染症については、一度だけだが触れられている。「平和的発展の道を堅持し、人類運命共同体の構築を進める」という項目の中で、安全への新たな脅威としてテロリズム、サイバー攻撃、気候変動とともに「重大な感染性疾患」が挙げられた。回数はともかく、地球という運命共同体にとって感染症への対策が重要であることは言を俟たない。
医療施設が完備し公衆衛生に対する意識の高い日本では、いまや文学作品の中だけで知る病であったり、遠い昔や遠い国のこととしてほとんど意識されない感染症であったりしても、世界規模でみれば大きな問題になっていることがある。
2017年10月末、世界保健機関(WHO)が「グローバル結核レポート2017」を発表した。2016年の一年間に全世界で正式に報告された結核の新規症例は630万件、報告されていない症例を加えておよそ1,040万件と推計している。HIVとの重複感染者約40万人を含むおよそ170万人が結核で亡くなっており、この数値は現在感染症の中で最も多い。
患者数でいうと中国はインド、インドネシアに続いて3番目に多く、中国衛生部門の統計によれば2016年には約84万人の新規感染が報告されている。中国で結核患者が多い理由については、感染してから受診や診断までの時間が長くかかるためだという研究がある。2006年から2013年に雲南省の疾病コントロールセンター(CDC)が行った調査では、患者の32%が治療を開始するまでに3か月以上かかっているという。
また中国国内における結核の罹患率は「西高東低」といわれ、西部内陸地域で感染者の比率が高い。仕事を求めて大量の農村人口が西の内陸部から東の都市部に流入しているが、都市と農村の保険制度の違いなどにより、農村から来た人々は都市の医療機関にかかりづらい。病院へ行くのが往々にして遅くなり、診断・治療がなされるまでの間、結核菌を保有したまま周りの人と接することになる。結核は空気感染によって広まるため、治療までの時間が長くなれば、そのぶん周りの人が感染する機会が増えるのだ。
もう一つの大きな問題は薬の効かない薬剤耐性結核菌の出現である。結核の治療には長い期間がかかるので、途中で薬をやめてしまうと耐性菌が生まれやすくなる。今回のWHOの発表によると、結核治療によく使われるリファンピシンという薬に耐性を持つ新規感染者は60万人ほどおり、その約半数をインド、中国、ロシアが占めている。
このように結核患者数や耐性菌出現など、国内の公衆衛生領域で重荷をかかえている中国であるが、一方海外へ医療隊を派遣するなどの形で世界の感染症対策に貢献もしている。まだ自国が貧困状態を脱していなかった1960年代から、中国はアフリカを中心とする第三世界への支援を開始し、自然災害、内戦、感染症流行などにより医療が不足している地域に医療隊を送ってきた。近年では2014年から西アフリカで流行したエボラ出血熱制圧のために多数の医療隊を派遣した。また先ごろ日本の自衛隊が撤退した南スーダンにも、現在第8団目となる医療隊が駐留している。
直近ではアフリカ大陸の南東部、西インド洋上にある島国のマダガスカルに医療隊が派遣された。マダガスカルでは今年8月からペストが流行し、11月上旬までに2,000人以上の感染者と160人以上の死者を出している。ペストはもともとマダガスカルには常在する病気で、毎年400件ほどの腺ペストが報告されるという。しかし今回は例年の流行時期より早く、これまであまり発生のなかった都市部で流行したこともあって対応が遅れたようだ。また、ネズミとノミが媒介する腺ペストだけでなく、人から人へ感染する肺ペストも同じように広がったことが流行抑止を遅らせた。2017年10月末に中国CDCの公衆衛生専門家6名、そして11月9日に北京地壇病院の医師2名と看護師1名が現地へ向かった。
中国の西部地域ではまだ時折ペストの症例がみられる。今回派遣された医師の一人も2010年に青海省とチベットにまたがる青蔵高原で肺ペスト患者の治療にあたった経験をもつという。14世紀に「黒死病」と言われヨーロッパを席巻したペストは中国雲南省周辺に起源を持ち、その地に遠征したモンゴル軍がペスト菌に感染したノミを中央アジアに持ち帰ったといわれている。そしてその後中央アジアの草原地帯に棲む齧歯類の中で保有されてきたペスト菌が、モンゴル帝国の版図拡大とユーラシア大陸の東西交易によってヨーロッパ各地に広まったとの説がある。
このように中国は古来重大な感染症の発症の地であり、世界に対し現在に至るまで多くの「負債」を抱えている。しかし同時に、国内や海外での長年にわたる感染症への対応経験は、世界にとって「資産」にもなっているのであろう。