中国感染症情報中国感染症情報

北京駐在スタッフの随想

No.015 「高校の結核集団感染と大学受験」

2018年1月22日
特任教授 林 光江

昨年11月、中国のある高校で結核の集団感染が報じられ、人々の注目を集めた。感染の主要な場となったのは、湖南省益陽市桃江県第四中学(以下、桃江四中)の高校三年364班(クラス)である。

中国の「中学」は日本でいう中学と高校を含んでおり、それぞれ「初級中学=初中」、「高級中学=高中」と呼ばれる。2013年の統計によれば、桃江県の人口は約90万人、高校は5ヶ所、高校生は合計約1万人。単純計算すると1校あたり2,000人、1学年600-700人となる。

桃江四中では昨年1月から7月までに数名の結核患者が出ていたが、7月、8月に高校三年生を中心に感染者が増えた。一時44人の感染が確認されたとも報道されたが、11月16日時点の公式発表では、確定診断症例29件、疑い例5件、予防的服薬38件であった。大きく注目されたのは、感染数の多さばかりでなく、衛生当局、学校、生徒・保護者それぞれの主張が食い違っていたためでもある。

桃江県疾病管理センター(以下県CDC)は当初検査に来た学生の情報を学校に通知しなかったため、学校が感染の実態を把握できず、それが感染を広げた原因の一つだと指摘されている。かたや県CDC側の言い分は、学生たちは受診当時身分を偽っており「労働者」や「農民」と登録されていたため、学校に通知することはなかった。7月下旬、結核検査や薬を受け取るため県CDCへ来ていた学生3人の会話から、彼らが同じ高校の学生だと知り、それからは県CDCが中心となって桃江四中の学生と教職員に対して大規模な検査を始めたところ、さらに多くの感染者が見つかったというのである。

一方、学校の不作為を責める声もある。今回の最初の感染者は1月下旬にすでに確定診断されており、その後も肺結核のため休学や転校していった学生が数名いたそうだ。しかし学校は7月下旬になるまで学生に対して何の通知も行わず措置も採らなかったため感染が広がった。もっと早く学生や保護者に周知していればこのような拡大は防げたはずだというのが保護者の主張である。

その後、桃江県衛生局と県教育局の責任者が解任され、学校や衛生部門の隠蔽による事件だったという見方もある。だが事態がこれほど複雑になった背景には「高考(ガオカオ)」の存在があると私には思われた。

以前の稿でも触れたことがあるが、中国では6月初めに「高考」と呼ばれる全国統一大学入学試験が行われる。二次試験は無い。「高考」の数日に学生の命運がかかっているとも言える。全国統一試験といっても省や直轄市ごとに出題内容が異なる。各地で成績トップを飾った学生はメディアで報道され、一躍みなの憧れと羨望の対象になる。まだ中国に科挙があった時代の首席合格者に与えられる称号「状元」を使って、彼ら彼女たちを「山東省の文系状元」や「上海の理系状元」などと呼び、「状元」たちがどの大学に進むのかに関心が集まる。

それだけに成績優秀者が集まる高校では、少しでも「高考」の成績を上げようと学生たちは必死に勉強する。特に地方では宿舎を持つ高校も多く、教室での勉強は早朝6時代から始まり夜10時、11時にまで及ぶという。

桃江四中の364班は文系の「エリートクラス」で、成績が下がると他の4つの「普通クラス」に落とされる。もちろん成績が上がれば普通クラスから364班に上がることができる。感染発覚当時、364班の人数は89人だったという。100人近くの学生が同じ教室の中で長時間肩を並べ、寝室、食堂といった生活空間をともにし、大きなプレッシャーの中で暮らしている。万全な体調でない学生も多いだろう。一人でも結核感染者が出た時に適切な処置をとらなければ、感染が広がることは容易に想像がつく。それを怠ったのは学校の責任である。

しかし更に問題なのは、事件初期に感染した学生たちが結核感染を学校に報告したがらなかったことである。理由は「高考」を控えて、下のクラスに行きたくなかったからだ。病院へ行く際も担任には「風邪」や「胃痛」だと報告し、何としてでも364班に残れるよう、無理をして学校へ行き続けていたのだ。

この事件は10月に感染が分かったある女子学生のネット投稿によって、中国社会で広く知られるようになった。彼女は「高考」受験を控えた大事な時期に結核に感染してしまったことを知り、絶望とやるかたない思いを投稿した。こんな状況で6月の「高考」に参加できるのだろうか、参加できたとして受験後の身体検査には通るだろうかと不安は尽きない。

治療には6-8ヶ月を要するので、彼らの焦る気持ちはよく分かる。薬の副作用で辛いこともあるだろう。何よりも自分たちが学校から見捨てられるのが怖いという。中国では大学受験がうまくいかなかった学生は、「復読」といって元の高校でもう一年授業を受けるのが一般的である。病気のためにもし一年間「復読」することになった場合、学校側はきちんと面倒をみてくれるのか、学費は学校が負担してくれるのかと心配する保護者の声もある。

大学や研究機関に身をおく者として、学生のつらい気もちが身にしみる。若い頃の一年の遅れは非常に長く感じるものだが、この先の長い人生を考えれば体調管理を第一にしながら、より納得のいく形で受験生活を送ってもらいたいと心から思う。