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北京駐在スタッフの随想

No.022 「感染症予防と国際社会」

2019年3月31日
特任教授 林 光江

桜も盛りとなり、2018-2019シーズンのインフルエンザ流行もひと段落を迎えた。季節性インフルエンザの予防について、手洗いの必要性は言うまでもないが、ワクチン接種も有効な予防方法の一つである。

インフルエンザウイルスは変異しやすいため、次のシーズンに流行しそうなウイルスの株(ウイルスの種類や細かな変異を分類するもので、そのウイルスが分離された場所や年などを示して表記される)を予測し、どの株に有効なワクチンにするかを毎年新たに決める必要がある。地域によっても流行しそうなウイルスの株は異なるため、日本では全国各地の衛生研究所や国立感染症研究所で、国内で流行していたウイルス株の情報を収集し、分析する。また毎年2月と9月に開かれる世界保健機関(WHO)の季節性インフルエンザワクチン推奨株検討会議で議論される世界各地の流行状況も参考にしながら、どういったワクチンを製造するかを決めてゆく。

今年2月、このワクチン推奨株検討会議に台湾が参加できなかったことが報じられた。台湾はこの会議に2014年から参加しており、台湾の衛生福利部は今年も会議への参加を申し出ていたが、招待状を受け取ったのが会議当日である2月21日の午前1時だったことから、準備が間に合わず欠席を余儀なくされたのだそうだ。

現在、この会議を含むWHO関連の会議には、台湾がオブザーバーとして参加することに関して、中国つまり中華人民共和国からの同意が必要となっている。中華人民共和国の主張する「一つの中国」という原則に基づいて、「中国代表」はすでにいるのだから台湾から代表を出す必要はないとの考えである。これまでにも中国政府の同意がなかなか得られず、間際まで招待状が届かないことがしばしばあったと聞く。台湾は2009年からオブザーバー参加してきたWHOの年次総会にも2017年、2018年と連続して参加が認められていない。

国際社会における中華人民共和国と台湾・中華民国との間の複雑な関係は、1949年に毛沢東を中心とした中国共産党が政権を執り、蒋介石率いる中国国民党が台湾に逃れたところから始まる。1945年の第二次世界大戦終了時に中国大陸を制圧していた中華民国は「戦勝国」として国連安全保障理事会常任理事国の地位を得ていた。しかしのちに中国共産党との内戦に敗れた中華民国は台湾に逃れ、北京で建国を宣言した中華人民共和国が広大な中国大陸を治めることとなった。

国連安保理ではすぐさまソ連が、代表権を中華人民共和国に移譲して台湾を追放すべきである、と主張したがアメリカが台湾を支持したため、中華民国が国連の代表権と安保理常任理事国の地位を保持し続けていた。その後もアメリカや1956年に国連に復帰した日本が中心となって、台湾追放反対を唱えていたが、1971年10月の国連総会で、中華人民共和国を中国の唯一の正当な政府と認め中華民国を追放する、アルバニア決議が採択された。これによって台湾・中華民国は国連の中心舞台から降ろされる。

また、これを遡ること19年、1952年カナダのトロントで開かれた第18回赤十字国際会議でも、中国と台湾の間で代表権が争われている。この会議には、中華人民共和国と台湾からそれぞれ代表団が派遣されていた。この時の中華人民共和国代表団の団長は、戦後初の衛生部長となった李徳全女史である。彼女は若い頃キリスト教に帰依し、戦争孤児救済などの社会福祉事業や教育事業に身を置いてきた。そして終戦後、まだ日本と中国の間に国交がなかった時代に中国紅十字(赤十字)総会会長として、中国大陸に残された日本人の引き上げにも尽力した、日本にとって恩人ともいうべき存在である。しかし、中華人民共和国政府を代表する彼女は台湾との関係になると一歩もひかず、赤十字国際大会では自らが「選挙権のある正式なメンバーとして会議に招待される中国の唯一の赤十字会」であると強く主張した。討議の結果その主張が認められ、台湾はこの会議から退出することとなる。

話を現在に戻すと、WHOは国連との間で連携協定を結んでいる「専門機関」と呼ばれる組織の一つなので、中国代表権の問題については国連の決定に従うものなのだろう。しかし、本来地域的なもれを作らないように施策さるべき感染症分野の情報交換や討議から台湾を外すのは得策であろうか。

このホームページでも中華人民共和国の感染症統計を随時更新し、掲載しているが、現行では中国政府が発表する感染症情報に香港、マカオ、台湾における症例数は含まれていない。もしこのようにWHO関連会議で台湾の不参加が慣例となってしまえば、2,300万以上の人口を抱える地域を、感染症対策の空白地帯にしてしまうことにもつながる。よく言われることだが、感染症をもたらすウイルスや細菌に国境はない。少なくとも感染症対策の分野では、政治に影響されることのない、開かれた国際社会を築くことが望まれる。