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北京駐在スタッフの随想

No.024 「北京からの夏便り」

2019年7月29日
特任教授 林 光江

(1)中国の伝統

中国では夏になると「三伏(san fu)」、「三伏天(san fu tian)」という言葉が会話にでてくるようになる。一年で最も暑く、湿度が高く、気圧も低いために空気の流れが悪い、蒸し風呂のような天気が続く時期を指す言葉である。「三伏(さんぷく)」は日本でも時候のあいさつや季語として使われてきたそうだ。

もとは陰陽思想と「木火土金水」の五行思想に基づいた概念で、「三伏」は「庚(かのえ)」が重要な日となっている。陰陽五行にならうと、庚は「金の陽」に属し、「かのえ=金の兄」という読みもそれを表している。「金」の性質として、夏を代表する「火」には弱いため、夏の庚の日は注意が必要ということらしい。

夏至ののち3回目の庚の日から「頭伏」または「初伏」と呼ばれ、「三伏天」がはじまる。次に夏至後4回目の庚の日が「中伏」(「二伏」ともいう)のはじまり、そして立秋後最初の庚の日が「末伏」(または「三伏」)のはじまりである。「頭伏」と「末伏」はそれぞれ十日間と決まっているが、「中伏」は年によって十日間または二十日間ある。蛇足だが、庚は「甲乙丙丁…」の「十干」の一つ(七番目)なので、庚の年は十年ごと、庚の日は十日ごとにやって来る。

「三伏天」に関しては、いろいろな風習が伝わっている。まずは食べ物で、「頭伏餃子、二伏麺、三伏烙餅巻鶏蛋」と言われる。「頭伏」には餃子を食べ、「中伏」には麺類を、そして「末伏」には卵を巻いた小麦粉のお焼きを食べる。現代では多様な食べ物が溢れているが、昔の人々にとって、これらの食べ物は栄養豊かな、贅沢なものだったに違いない。今でもこの言い伝え通りに、餃子や麺を食べる人は多いようだ。

一方、この時期は湿度が高く、体内の熱が発散しづらいため、中国伝統医学では「火が上がりやすい」という。「火が上がる」と情緒が安定せず、イライラして、興奮しやすく、不眠の症状などがあらわれてくる。その「火」を抑えるためにはニガウリ、トマトなどが良いとされる。緑豆も欠かせない。緑豆を煮出して氷砂糖を入れ、冷やした「緑豆湯」は夏の家庭で定番の飲み物である。

それから、この期間に行うものに「三伏灸」という、民間に伝わる療法がある。「灸」といっても、もぐさに火をつけるのではなく、薬材を軟膏にして、絆創膏でツボに貼り付ける「三伏貼」が主流である。「頭伏」の7月12日には患者が殺到した病院も多かったと聞く。「三伏貼」は慢性の気管支炎、喘息、鼻炎、慢性胃腸炎、頚椎や肩の炎症、腰痛や関節痛、生理痛などにも効くとうたわれているが、どうやら中には誇大解釈(広告)もあるようだ。「三伏天」を前にした7月4日、中国国家中医薬管理局は「三伏貼」に関する通知を出した。登録された医療機関で、中国医学の資格をもった医療者の下で処置を行うことを定めているほか、「三伏貼」の効能についても明確にしている。それによると適応症は慢性呼吸器系疾患で、繰り返し発作を起こし、特に冬季にひどくなるもの、それから漢方医学で「寒証」と診断されるものに限る、とされている。時機に投じて、病院以外の店やネット上でも、まるで万能薬のように売り出される現状を問題視してのことだろう。

今年は7月12日からが頭伏、7月22日からが中伏、8月11日からが末伏なので、7月12日から8月20日までの四十日間が「三伏天」である。今これを書いているのは7月末、三伏の暑さがようやく半分過ぎようというところである。まだまだ暑い日が続く。元来、庚の「金」は秋を代表するものだという。夏の「火」から早く逃れて、涼しい風を運んできてほしいものだ。

(2)夏の感染症

暑い夏といえば食中毒など感染性の胃腸炎が想起される。日本では夏の胃腸炎は細菌によるものが多く、冬にはウイルス性のものが多いイメージがあるが、中国では少し異なるようだ。

中国の法定伝染病は現在39種あり、病原体の感染力や症状の重さなどにより「甲類」「乙類」「丙類」の3つに分類されているが、三番目の「丙類」の中に「その他感染性下痢」という項目がある。「その他感性性下痢」とは、コレラ、赤痢、チフス、パラチフス以外の、感染性の下痢すべてを指す。

「その他感染性下痢」のうち90%以上がウイルス感染だという報告もあるが、これまでは病原体まで検査して特定することは少なく、単に「食中毒」や「胃腸炎」と診断されることが多かったようだ。「その他感染性下痢」は丙類伝染病の中でも、手足口病に次いで2番目に症例が多く、2017年、2018年と全国で年間約128万もの症例が報告されている。中国ではまだ地域ごとの医療水準の格差が大きいし、医療機関の現場ですべての病原体を検査するというのは現実的でないと思う。

それでも近年はウイルスによる集団感染が増えてきたために、各地の保健衛生部門が詳しい調査を行っている。たとえば小学校から大学まで、多くの教育機関が集まる北京市海淀区では、2016年に区内で発生した14件のノロウイルス集団感染を調べたところ、4月から6月に6件、10月から12月の間に8件と、一年のうち2つのピークが認められた。ノロウイルスが流行するのは冬だけではないのだ。

またこの7月上旬、北京市郊外のある地区で下痢、嘔吐を訴える人が続出し、検査の結果100人以上がノロウイルスに感染していたことが判明した。その後の調べで、生活排水を処理せず無断で雨水溝に流したとして10名が逮捕されたと報じられている。

このように中国の夏は、細菌性胃腸炎、ウイルス性胃腸炎ともに注意が必要だ。故意にせよ過失にせよ、感染症には人的営みが深く関わっている。個人やコミュニティが、科学的検証を経た正しい知識をもつことが感染症予防には重要である。健康的に、暑い夏を乗り切りたい。