今年7月13日、国連合同エイズ計画(UNAIDS)が「2030年までにエイズ撲滅の可能性が出てきた」と発表したことが報じられた。アフリカの一部の国ではHIV(=ヒト免疫不全ウイルス。エイズの原因となる)の新規感染者が激減し、感染を自覚している人の約95%が治療を受けているのだという。だが2022年時点、世界中で約 920 万人の感染者が治療を受けておらず、治療中の感染者のうち約 210 万人がウイルスを抑制できていないともされている。中国でも毎月5千件前後の新規感染者数が公的に報告されているし、中国疾病予防コントロールセンター(中国CDC)によれば、毎年15歳から24歳までの学生約3,000人がHIVに新規感染している。あと10年足らずでエイズのない世界が本当に実現できるのだろうかと訝しく思ったが、記事によれば「各国が予防と治療に投資し、差別に反対する法律を採択する政治的意志を示せば」という条件付きであることを見て納得した。
その発表に先立つ7月1日、中国のHIV/エイズ専門家である王愛霞(WANG Aixia)教授が91歳で亡くなった。彼女は中国で初めてのエイズ患者を診断したとされている。1985年、一人の外国人旅行者が発熱と咳のため北京協和病院を訪れた。診療にあたった別の医師は肺炎と診断し治療を行ったが奏功せず、患者は死亡した。当時、北京協和病院呼吸器内科の副主任だった王医師は、その4年前にアメリカ・ロサンゼルスで報告された新しい病「エイズ」を疑った。アメリカ在住のかかりつけ医にも連絡をとり、最終的に、エイズによる免疫低下で発症したカリニ肺炎が死亡原因であるとの診断を下した。その後、1989年に中国国内で初めてのHIV陽性者を確認したのも王医師だった。患者は雲南省の女性。夫がミャンマーとの国境を跨ぐブローカーで、現地女性との性交渉歴があった。夫から感染したものと考えられた。
そのほか、他国と国境を接する雲南省や広西チワン族自治区などでは薬物注射の注射針使いまわしによるHIV感染が広がっていた。さらに中国特有の感染原因も存在した。以前この欄でも紹介したが、1990年代半ば河南省などの農村地域で血液売買によるHIV感染が流行した。貧困から脱するためにと地方政府は農民に対して売血を奨励していたが、成分採血に用いる機器がHIVに汚染されたまま使用され続け、感染を広げることとなった。村人の多くが感染しエイズを発症したため「エイズ村」と呼ばれる地域も生まれた。
王愛霞医師は1995年にHIV/エイズ診断の国家基準を策定し、翌年には国内初の病院内P3実験室を立ち上げるなど、国家の政策に沿い、治療や医学教育に携わってきた。2000年代に入ると中国政府は血液売買による感染を認め、「四免一関懐(四つの免除と一つの配慮)」という政策を開始した。四つの免除(費用免除)とは、1.農村部や都市部の基本的医療保険に加入していないなど、医療保障制度から外れる、経済的に困難なエイズ患者に対する抗ウイルス薬の無償提供、2.すべての希望者に対する無料の検査や相談の提供、3.エイズ孤児に対する学費免除、4.HIVに感染している妊婦に対する無料の治療、検査、相談、母子感染予防措置。そして、一つの配慮とは、生活困難を抱えるHIV感染者やエイズ患者を政府による福祉の対象に組み入れるというものである。王医師自身も河南省などの「エイズ村」に出向いて診断や治療にあたった。王医師はその後も、HIV/エイズの臨床診断および免疫病理学研究で中国の重要な科学技術賞を受賞し、院内感染の研究や臨床薬理試験も数多く担当するなど、国家のHIV /エイズ対策にとって欠くことのできない人物となった。
けれども、エイズ対策に奔走したのはもちろん王愛霞医師だけではない。海外では「民間のエイズ予防第一人者」と称され、数々の国際的な賞も受けている高耀潔(GAO Yaojie)医師は、血液売買によるHIV感染にいち早く気づき、現地へ赴いて調査や治療に携わり、政府への陳情も行った。しかしそのやり方が政府の方針にそぐわなかったためか、彼女は監視の対象となり、2009年やむなくアメリカへ亡命した。現在95歳の高医師はアメリカへ移住後、中国のエイズ対策に警鐘を鳴らす著書を発表している。同様に、1990年代河南省の防疫部門で働いていた際、C型肝炎やHIV感染の広がりに気づいた王淑平医師も、当局からの圧力を受けて2001年にアメリカへ移住し、2019年事故により亡くなった。
1999年、原因不明の感染症が広がる河南省文楼村を調査のために訪れた桂希恩(GUI Xi’en)医師は、これがHIV/エイズによるものと突き止め、現地の地方政府に報告したが、当初は取り合ってもらえず、逆に「現地のイメージを悪くし、経済発展に悪影響を及ぼす」という理由で「歓迎されない人物」と宣告された。それでもエイズ流行状況の調査を続けた彼は、北京の中国CDCへ調査報告を上げ、これが政府から認められた。中国初の「エイズ村」と呼ばれた文楼村は、無料で治療が受けられる初めての村となった。2004年以降、桂医師はHIV/エイズの予防・教育分野における功績が認められ国内外の賞を受けるようになり、昨年2022年にも、中国の著名な医学教育者・呉階平(WU Jieping)院士の名を冠した医学賞を受賞している。
公益のために警告を発する人を中国語で「吹哨人(チュイシャオレン=警笛を吹く人)」と呼ぶ。警笛の音が正しい相手に届くかどうかが非常に重要で、王愛霞医師や桂希恩医師はそれに成功したと言える。しかし、笛を吹くタイミングや相手を間違えると、自分の身に危害が及ぶこともある。高耀潔医師しかり、王淑平医師しかり。その違いがどこにあったのか、一般人にはわからない。
上述のUNAIDSの報告書では「HIV対策は強い政治的リーダーシップに支えられた場合に成功する」として、対策の重点を次のように述べている。「データ、科学、エビデンス(根拠)に従うこと。進歩を妨げる不平等に立ち向かうこと。地域社会や市民社会組織がHIV対応において重要な役割を果たせるようにすること。十分かつ持続可能な資金を確保すること。」
科学的根拠に基づいた治療プログラムが整いつつあり、対策への資金も潤沢な中国が、今後エイズ撲滅をより早い時期に達成するためには、性的マイノリティに対する偏見をなくし、市民社会の力を信じ、「警笛」に耳を傾け、多様な意見を受け入れる、懐の深いリーダーシップが肝要ではないだろうか。