7月上旬から、中国南部の広東省でチクングニア熱が流行している。7月8日に同省佛山市順徳区で輸入症例が1件見つかったのち周辺地域に感染が広がり、佛山市では7月22日までに累計3,000件を超す感染者が確認された。
チクングニア熱はアフリカ、南アジア、東南アジアに多く見られる感染症で、主に発熱、関節痛、頭痛、筋肉痛、倦怠感などの症状をきたす。ネッタイシマカやヒトスジシマカなどによってウイルスが媒介されるため、佛山市では週末にあたる19日と20日に、蚊の発生源を断ち、蚊を駆除する「愛国衛生運動」の実施を市民に呼びかけた。
この感染症が中国ではじめて確認されたのは1987年雲南省シーサンパンナ(西双版納)においてとの記録があり、2008年に広東省広州市で輸入症例が見つかって以降、中国の少なくとも16の省、直轄市、自治区でチクングニア熱の輸入症例が確認されている。中国国内では一年を通して温暖な南部であってもウイルスをもった蚊の卵は越冬できないとされているので、今回は輸入症例患者あるいは不顕性感染者を刺した蚊が、わずか2週間でウイルス感染をここまで広げてしまったことになる。
このように感染症はまたたく間に広がる。中国では新型コロナウイルス感染症の経験も踏まえ、今年「伝染病防治法」(感染症予防管理法)を改正し、9月1日から施行予定である。
主な改正内容について気づいた点を挙げてみる。まず、未知の感染症や新興感染症の報告を義務付けたことである。特に、未知の感染症を迅速に報告した機関や個人には報奨を与えることとし、のちに誤報と判断された場合でも法的責任を追及されないことが明文化された。また地方政府や医療機関に対し、情報隠蔽や報告遅延があった際の罰則も明確に示されている。
振り返ると2019年末、中国湖北省武漢市ではじめて新型コロナウイルス感染症が確認され、武漢市中心医院に勤務する李文亮医師がSNSのグループチャットで「SARS(重症急性呼吸器症候群)に似た症状の患者が確認された」と注意喚起したところ、武漢市公安局の派出所に呼び出され「インターネット上で虚偽の内容を広めた」として訓戒処分を受けた。それ以後も中国では感染症専門家による「人から人への感染は確認されていない」という言説によって感染防御の対応が遅れ、李医師も診察中この病に感染して亡くなった。感染症発生時には初動の遅れが大きな流行につながることも多い。報告体制に関する改正点にはこのような過ちを繰り返さないようにという反省が込められているように思う。
次に、地方政府レベルに対応措置の権限を与えたことが挙げられる。中国は共産党による指導のもと中央政府が経済、社会、文化などあらゆる分野を統制している。新型コロナウイルス感染症の「ゼロ・コロナ」(のちに「動態ゼロ・コロナ」)という方針も中国共産党の最高指導部が決定、実行したものだった。しかし、このような中央集権的な対応には時間がかかり、感染拡大のスピードに追いつけないことがある。この改正では省や市レベルの判断で緊急警報や行動制限を発動できるなど、迅速な対応が可能になった。
それから、住民の生活支援や保障制度の整備が明文化された。中国は「ゼロ・コロナ」政策に従い、地域ごとの厳格なロックダウンを数回にわたり行ったが、その期間に食料や薬品、生活物資が届かず、住民の生活や病人の健康・生命維持に大きな支障をきたした。この改正によって、地域封鎖や隔離を受けている住民に対して生活必需品や医療サービスの提供が行政の義務となったことは安心材料である。
さらに、個人情報の取り扱いについては2022年の個人情報保護法との整合性が強調され、過剰な収集・開示を制限するとしている。コロナ禍に使われた「健康コード」(健康管理アプリ)に対する反発を踏まえ、プライバシーへの一定の配慮が制度化された。また医療機関や疾病管理部門が知りえた感染者や濃厚接触者などのプライバシーや個人情報を漏洩させた場合の処罰も明記されている。
以上のように「中華人民共和国伝染病防治法」の改正は、未知のものも含めた感染症の、より迅速な拡大防止のために一定の効果が期待される。一方、地方レベルでの実施段階における個人の権利がどのように保障されるかについては未知数である。たとえば、地方政府に防疫措置の権限が委譲されたことにより、中央政府への忖度から、必要以上の隔離や封鎖が行われることはないか。住民の生活支援については現地政府の負担となるため、地域による格差が生まれないか。
日本においても同じことが言えるが、感染症対策にはある程度の強制力が伴うため、個人の権利が侵害されることもある。この改正が、公共の安全と個人の権利のバランスをとりながら、できるだけ地域の格差なく、人々の健康的な生活維持に資するものであってほしい。