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北京駐在スタッフの随想

No.061 「中国で広がる「日本の梅毒急増」報道」

2026年1月26日
特任教授 林 光江

日本でお正月が明けたばかりの1月上旬、中国のインターネット上で「日本の梅毒感染が急増している」という言説が広がった。

梅毒は「梅毒トレポネーマ」(*注)と呼ばれる細菌によって引き起こされる感染症で、主に性的接触を通じて感染する。感染初期には、性器や口の中にしこりができることがあるが、痛みがなく、自然に消えてしまうため気づきにくい。さらに感染が進行すると、「バラ疹」と呼ばれる、バラの花びらのような赤みを帯びた発疹が、手のひらや足の裏から全身に広がることがある。しかしこれも1か月ほどで自然に消えるため、治ったと誤解されがちだ。実際には感染は持続しており、治療せずに放置すると、心臓や血管、脳などに重い障害が生じ、死に至ることもある。ペニシリンなどの治療薬が確立される以前、梅毒は非常に恐れられた病気だった。

1月6日、国立健康危機管理研究機構・国立感染症研究所のデータとして、日本国内の梅毒感染者数が2022年から2025年まで4年連続で年間1万3000人を超えていると、NHKなどが報じた。感染者の約3分の2は男性で、20代から50代まで幅広い年代に分布している。一方、女性では20代の感染者数が突出している。若年層の女性の感染増加により、妊娠中に胎児へ感染する「先天梅毒」のリスクも懸念されている。専門家は、SNSやマッチングアプリを通じて知り合う不特定多数との性的接触の増加が、要因の一つになっている可能性を指摘している。

年間1万3000人という数字は、人口10万人あたりに換算すると11〜12件に相当する。これは他の先進国と比べて極端に多い水準ではない。しかし問題は、その増え方だ。2010年代初めには年間数百人から1000人台だった感染者数が、2021年には8000人近くに達し、2022年以降は1万3000人を超えている。およそ10年で10倍以上に増えた計算になり、流行を食い止めるための対策が求められている。

こうした日本の感染急増を伝えるニュースは、中国ではかなりセンセーショナルな形で拡散された。日本のSNSに掲載されていたと思われる刺激的な写真を転載した記事も多い。私自身、いくつかの記事の中で、コスメで腕にバラ疹を描いた若い女性が東京都の梅毒啓発ポスターの前に立つ写真や、若者数名が手のひらや腕にバラ疹を描き、見せ合うような写真を目にした。

もちろん、国立感染症研究所のデータを淡々と紹介する記事や、「日本で無料の梅毒検査を受けてみた」といった、予防啓発を目的とした真面目な内容のものもある。しかし全体として、日本国内で受け止められている以上の強いインパクトをもって伝えられている印象を受けた。コメント欄やSNSでは、「日本は相当ひどい状況だ」「“梅毒メイク”が流行しているらしい」「道徳観が崩壊している」「中国に来てほしくない」といった批判的な言葉が目立つ。その一方で、「中国の方が多いのではないか?」と、冷静な指摘も見られた。実際、中国の梅毒感染者数は2023年に年間53万人を超え、2024年には約57万2000人、人口10万人あたり約40件と発表されている。

少し話はそれるが、感染症の流行をめぐって他国を非難する構図は、歴史的にも繰り返されてきた。15世紀末、フランス軍のイタリア遠征(ナポリを一時占領)をきっかけにヨーロッパで梅毒が広まった際、イタリアでは「フランス病」、フランスでは「ナポリ病」と呼ばれ、互いに責任を押し付け合ったという。また、1918年から世界的に流行した「スペイン風邪」も、実際にはスペイン発祥ではない。戦時下で報道統制が行われていたアメリカや欧州諸国に対し、中立国だったスペインでは被害状況が自由に報じられたため、あたかもスペインから広まったかのように誤解された。このように、感染症に特定の国名や地名を結びつけることは長く続いてきたが、現在では国際的に避けるべきだとされている。病への恐怖や嫌悪が、「自分たちの問題ではない」と思いたい心理を生むのだろう。

昨年11月の高市首相答弁以降、日中関係は再び厳しい局面に入っている。駐日本中国商務公使は今月、「国交正常化以来、最も厳しい状況に直面している」と述べ、中国政府による日本への渡航自粛勧告も続いている。中国で日本の梅毒感染急増がセンセーショナルに取り上げられる背景には、こうした対日感情も影響しているのかもしれない。この種の報道が広がれば、訪日への心理的ハードルがさらに高まる可能性もある。

ただ一方で、このニュースをきっかけに、中国でも日本でも、梅毒を含む性感染症を「あちらの国の問題」ではなく、自分自身にも関わる身近な問題として考える人が増えるのであれば、それには一定の意味があるだろう。感染症は国境も国籍も選ばない。互いに非難し合うのではなく、正確な情報に基づき、検査や予防を当たり前の行動として広げていくことが、本来の向き合い方ではないだろうか。

  • * 注:以前は「梅毒スピロヘータ」と呼ばれていたことを覚えている方もいるかもしれません。「スピロヘータ」とは、らせん状の形をした細菌の大きな仲間の総称で、「トレポネーマ」はそのスピロヘータの中に含まれるグループ(属)の一つです。