中国感染症情報3月上旬、北京では毎年恒例の重要な政治行事である「全国人民代表大会」と「全国政治協商会議」が開かれた。中国各地から選出された「代表」や「委員」と呼ばれる議員が集まり、国家の政策や社会課題について議論が交わされる。テレビで放映されるのは主に政府活動報告や外相・首相記者会見などに限られる。だが、その間に報じられる議員へのインタビューから、現在の中国社会が直面する問題の一端を読み取ることもできる。
今回注目したのは、小児の呼吸器感染症に対するワクチン接種についての提言である。政治協商会議委員を務める、首都医科大学附属首都小児医学センターの米榮(MI, Rong)医師は、特に肺炎球菌、インフルエンザ、Hib(ヘモフィルスインフルエンザ菌b型)といった病原体への対策の重要性を指摘した。これら病原体は乳幼児に重篤な呼吸器症状を引き起こす可能性がある一方で、すでに有効なワクチンが存在している。つまり、予防によって救える余地が大きい領域だと言える。
中国では現在、「国家免疫計画」によって10数種のワクチンが公費で提供されているが、それ以外のワクチンは自己負担での接種となる。米医師が提起したワクチンは目下すべて自己負担である。自費のワクチンは接種率が十分に高まっておらず、地域によって大きな差がある。医療資源が豊富な都市部では、保護者の知識や経済的余裕により接種率が比較的高い。一方、地方や農村部では情報不足や費用面の制約から接種が進みにくい状況が見られる。9つの省を対象としたある調査では、Hibワクチンの接種率が省によって6%台から約60%までと、大きな開きがあることが判明した。
ここで重要になるのが「集団免疫」という考え方である。これは、一定以上の人々が免疫を獲得することで、感染症の流行そのものを抑え、ワクチンを接種できない人々も含めて社会全体を守る仕組みを指す。一般に多くの感染症では、75%から80%以上の接種率が一つの目安とされるが、現状の中国ではこの水準に達していない地域も少なくない。その結果、個々の子どもが感染リスクにさらされるだけでなく、地域全体として感染の連鎖が起こりやすい環境が残されている。
このような現状を踏まえ、米医師は医療資源の乏しい地域の子どもに対し、これらのワクチンを優先的に無料提供することを提案している。これは単に個人の健康を守るだけでなく、地域全体の接種率を引き上げ、集団免疫の形成を促すという意味で重要な視点である。
中国の公衆衛生や感染症対策のかなめである国家疾病控制局の責任者も、費用対効果や国際的な合意を踏まえつつ、将来的にこれらのワクチンを国家免疫計画に組み込む方向性を示しており、制度的な改善の兆しがうかがえる。
こうした議論は、日本の状況と比較すると興味深い。日本でも過去、ワクチンへの理解や接種意向が大きく揺れ動いた時期があった。副反応への懸念から接種率が著しく低下あるいは取りやめになったワクチンもあるし、かつては自費の「任意接種」だったが、議論を重ねて段階的に公費の「定期接種」へと移行してきたものもある。現在、Hibや肺炎球菌ワクチンが公費で受けられ、高い接種率を維持できているのは、単に制度が整っているからだけではない。自治体によるきめ細やかな情報周知や母子保健システム改善の積み重ねが、結果として強固な「集団免疫」の形成につながっているのだ。
一方で、中国の事例は、広大な国土と地域間の経済格差が、公衆衛生の実効性をいかに左右するかを浮き彫りにしている。しかし、今回の提言や政策検討の動きは、そうした格差を乗り越え、より包括的な集団免疫を実現しようとする前向きなプロセスといえるだろう。感染症対策は「個人の選択」という側面を持ちながらも、その本質は、社会全体の協調によって成り立つ「共同防衛」であることを再認識させてくれる。
ワクチンを「誰が、どのような条件で接種できるのか」という問いは、その社会のあり方を如実に映し出している。中国での議論は、感染症対策が単なる医療技術の問題に留まらず、機会の平等な配分や制度設計という、極めて政治的・社会的な課題であることを物語っている。現在の日本の制度を当然のものとして享受している私たちも、その基盤がどのような努力や合意によって支えられているのか、改めて見つめ直す必要があるのではないだろうか。