中国感染症情報今月上旬、中国の地方都市を訪れた時のこと、ホテルのチェックインを待つ間、カウンター横に置いてあるリーフレットに目がとまった。手に取ってみると、現地地方政府の衛生保健部門が発行するHIV(ヒト免疫不全ウイルス)感染と性病に関する予防啓発資料だった。
このリーフレットはとてもよくできていて、HIVは「日常生活では感染しない」ことが強調されている。また主な感染経路が性行為、血液、母子感染に限られていることも丁寧に説明されている。性行為において固定のパートナーを持つこと、コンドームを使用することなど、感染予防の原則について紹介されており、また社会的な偏見を無くすべきということにも触れ、「感染者は敵ではなく、ウイルスこそが敵」「偏見は検査や治療控えにつながる」「平等に接し、支援すべき」と書かれている。中国では2002−2003年のSARS流行以来、公衆衛生政策が強化され、疾病予防管理当局が長年にわたって啓発活動を続けており、それが地方都市にまで広がっていることを実感した。
一方で、私はこのリーフレットを見ながら、6月中旬に報じられたある出来事を思い出していた。中国河南省のある中学校で、健康診断の項目にHIVのスクリーニング検査が含まれており、「陽性の疑い」とされた生徒が学校から退学を勧告されたというものだ。保護者は子どもを連れて別の病院2カ所で改めて検査をしてもらったところ、ともに「陰性」だった。その後、生徒は復学を認められ、学校側が検査費用などを負担したらしい。この間、生徒や保護者の心情は察するにあまりある。
そもそもHIV検査は法令で定めた学校の健康診断の範囲を超えたものである。また「疑い」の段階で、医療機関が個人情報保護に違反して学校へ情報を伝えたこと。仮に陽性だったとしても、学校生活では感染しないという基本知識を学校が理解せず、退学を勧告したことなど、さまざまな問題が指摘されている。
一見すると、この二つの出来事は矛盾しているように思える。かたや行政が「日常生活では感染しない」「差別や偏見こそが問題」と呼びかけ、かたや学校が「疑い」というだけで生徒を排除しようとする。だがよく考えると、これは矛盾というよりも、対策が二つの異なる段階にあることを示しているのだと思う。
私が知る限りでは、行政レベルでは予防知識の普及に力が入れられていることがうかがえた。この地方都市のリーフレットがその一例である。しかし、HIVが長年、性行為や薬物使用などと結び付けられて語られてきたこともあり、感染そのものへの恐怖に加え、感染者に対する社会的な偏見が残っているのだろう。
さらに言えば、中国の学校は行政の管理が強く「何か問題が起きれば責任を問われる」という強いプレッシャーがある。学校現場では責任や評価が強く意識される場面も多く見受けられる。そのような中で、科学的根拠よりもリスク回避を優先してしまう構造もあると思われる。
知識として「日常生活では感染しない」と知っていることと、実際に自分の身近に感染者が現れた時に冷静に対応できることとは、必ずしも一致しない。これは中国に限ったことではなく、日本でも見られる現象だ。
印象深いのは、この中学生の一件に対して、中国国内の報道やSNS上で、学校側の対応を疑問視する声が多かったことだ。ある記事の見出しは「無知と差別こそが本当の伝染病である」とされていた。社会全体が、どこに問題があるのかを理解しようとしている。これは長年の啓発活動が積み重ねてきた知識が、少しずつ社会に浸透していることの表れなのかもしれない。
知ることは受け入れることの第一歩に過ぎない。知識を社会の共通認識へと変えていくには、制度だけでなく、一人ひとりの理解と対話の積み重ねが必要だとあらためて感じた。