5月19日から27日にかけて、スイス・ジュネーブでWHO(世界保健機関)加盟国による世界保健総会が開催された。今年は第78回にあたる年次総会である。日本では「パンデミック条約」が採択されたことやアメリカ代表の総会不参加がニュースで取り上げられていたが、中国での報道の重点は少し異なっていた。それは台湾問題と中国伝統医学についてである。
以前この欄の「感染症予防と国際社会」でも取り上げたように、台湾は2009年から2016年までオブザーバーとしてWHOの年次総会に招待されていたが、その後は中国が「一つの中国」原則の堅持を理由に台湾の参加を拒否している。「世界で中国はただ一つであり、台湾は中国の一部であり、中華人民共和国は中国を代表する唯一の合法政府である」という考え方だ。今年も台湾と国交のある11か国のほか、イギリス、オーストラリア、カナダ、チェコ、フランス、ドイツ、日本、リトアニアなどが「台湾のオブザーバー参加を認める」という提案に賛成したが、中国やパキスタンの反対により提案は否決された。中国は「台湾省に対してはすでに様々な形でWHOの技術会議に参加を認めており、一つの中国の原則に合致する限り、台湾省との技術交流は順調に行われる」としている。
もう一つは、中国伝統医学がWHOのグローバルヘルス戦略において重要な位置づけを得たという主張だった。まず「ICD-11」と呼ばれる「疾病及び関連保健問題の国際統計分類(=国際疾病分類)」の第11版にはじめて伝統医療に関する補足章(Supplementary Chapter)が加えられたことを強調している。ICDは医療従事者が世界で標準化された情報を共有し、世界の健康動向や統計を把握するための基盤となるもので、ICD-11は2019年の第72回国際保健総会で採択され、2022年1月に発効された。2025年5月現在、この補足章では中国のほか韓国、日本、ベトナムといった、中国に起源を持つアジア各国の伝統医療と、アーユルヴェーダなどインドの伝統医療がカバーされている。また中国は伝統医薬品「中医薬」の分野で、世界40ヵ国以上の国、地域、国際組織と協働を進めており、中医薬はすでに196の国と地域に広められているという。このように中国は自らの伝統医学を世界に認めさせつつある。
さて、その中医薬に対してであるが、これまで私は慢性疾患に効果のある、薬効の緩やかな薬というイメージを持っていた。しかしながら中国では中国伝統医学と西洋医学とを組み合わせた「中西医結合」という考え方に基づき、中医薬は感染症対策にも用いられてきたそうだ。
この「中西医結合」は「気」「経絡」「陰陽」など中国伝統医学の理論と、「解剖学」「生化学」「薬理学」など西洋医学の科学的アプローチを組み合わせて診断、治療、研究を行うもので、1950年代から進められてきた。代表的な例としては1954年の「流行性乙型脳炎」(日本脳炎)流行時の対応がある。北京近郊の河北省石家荘で「中西医結合」による治療を試みた結果、死亡率が50%から10%以下に低下したとされ、全国に広められたという。このほか住血吸虫症、結核、B型肝炎などに対しても、中医薬と西洋医療の併用によって顕著な成果をあげてきた。さらにこのような伝統的な感染症だけでなく、新型コロナウイルス感染症などの新興感染症に対しても中医薬が用いられている。コロナ禍で治療の指針とされた中国国家健康委員会の「新型冠状病毒感染診療方案」は基本的に西洋医学の診断や治療法を中心として作られているが、治療欄の後半には「中医治療」の項目があり、症状の軽重に合わせて有効とされる中医薬の処方が詳細に紹介されている。また、薬用植物の一種である「クソニンジン」から抽出された抗マラリア薬「アルテミシニン」が2015年のノーベル生理学・医学賞を受賞したことはよく知られている。
一般的に、伝統的な薬品や鍼灸、按摩などは比較的安価なため医療アクセスの公平性に寄与するが、この中国伝統医学の「国際標準化」については懐疑的な見方も存在する。まず中国伝統医学における「気」や「経絡」の理論と、西洋医学における解剖学理論との矛盾が解決されぬままであることがあげられる。また中医薬の有効性や安全性の臨床試験が不十分な場合があり、特に複数生薬の相互作用が明確でないことが問題視されている。ICD-11 に「伝統医学」という補足章が加えられたのは、伝統医学の状況を国際的に比較・検証可能なものにするためであり、WHOは「いかなる伝統医学の実践の科学的妥当性またはいかなる伝統医学介入の有効性についても、判断または推奨するものではない」と述べている。
私は個人的に中国の伝統医学を否定する考えではない。中国には政治的な力によるのでなく、伝統医学の診断基準や中医薬の品質管理を統一するなど科学的な根拠をもって、国の宝ともいうべき伝統医学が国際的により広く受け入れられるような努力を続けてほしいと願っている。